将棋の棋士って頭がいいのはわかりますが局面の差し手を全部チェックしてるわけではないので最終的には勘比べ・勘競争やってる感じになるのでしょうか?それでよみがいいとか。
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ある局面を見て、その時どちらが有利かを判断する力を大局観といっていると思います。
読みとは少し違ったものでしょう。
この大局観が人によって違います。トッププロでも意見が分かれる局面があります。
この大局観は「勘」とは違うと思います。
将棋に限ったことではないですが、経験とセンスによって培われたもの。
そしてそれは具体的に表現できないので、また難しいのかもしれません。
ベテラン警察官が、なにか怪しいと思い一般人に職務質問をして、犯罪に防ぐようなことは「勘」ともいえますが
経験とセンスからきた能力ともいえます。
もっと突っ込んだ話であれば、脳の話になるかもしれません。理論は左脳ですが、直感的なものは右脳です。
この右脳と左脳の連携が強い人が、一般的にいわれる「勘」がいい人になり、将棋においても「大局観」がいい人になってると思ってます。
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一通りはチェックしていると思われます。
というか、その前に、全部チェックしているかという問い方なんですが、たとえば、自爆してしまう手(玉がつっこんたり)は当然読まないですし、全部というのが終局までというならばそんなに深くはよめませんし・・・
全部が具体的にどの程度まで言うかで、問いの答えが全然変わってしまうわけで・・・
可能性がある手は、よむようですよ。
さらにひとつ言えば、勘というのは論理的な体制が整えられていない思考のことを言うと思いますが、棋士は日々勉強会など、絶え間なく将棋をさし、その局面局面で最善の手を研究することにより、手を決めていますので、勘という表現は少々はずれていると思います。
数値化してはいないので勘という表現が完全に外れているわけではないでしょうが。
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当然にチェックもれもあるでしょうが・・・
局面の進行の都度、チェックは繰り返していますので、「勘比べ」という表現は当らないと思います。
「大局観」という表現で全体の構想を大まかに決定する事はありますが
細かい読みは最後まで行っているものです。
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