将棋のプロ棋士になることと、東大生になることとは、どちらが難しいですか?
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毎年将棋のプロに受かる人数と東大に受かる人数を比較して、前者の方が少ないから前者の方が難しいと判断するのは、誤りです。
ボウリングのプロとプロ野球のどちらが難しいかを比較する場合に、プロボウラーの人数が少ないからボウリングの方が難しいといえないのと同じです。
なぜなら、試験を受ける母数が異なるからです。
そもそも、将棋のプロなんていう変わった職業を目指す人間は稀です。
将棋のプロになるためには、遅くとも小学生から将棋ばかりを稽古しなければなれません。
そうすると、もし将棋のプロになれなかった場合に、潰しがきかなくなります。
そんな職業を目指させる親は少ないでしょう。
ですから、将棋のプロを誰も彼もが目指すのではなく、一部の変わり者だけが目指します。
東大の場合、東大を目指して失敗しても早大とか別の大学に進む道があります。
なので、普通の人ができることならば東大、それがダメでも一流大、それがダメでも二流大を目指し、その数は数十万人にも及びます。
そして、東大を目指す方法は数多くの方法がしのぎを削り、洗練されています。
東大を目指す方法を一種の文化ととらえるならば、それは非常に洗練された文化であり、もはや画期的な方法は登場しないでしょう。
将棋のプロを目指す方法は、それに比べ、原始的です。
もしかしたら、誰かが画期的な方法を思いつくかも知れません。
さて、東大と将棋のプロの難しさの比較ですが、私は東大の方が難しいと思います。
大学の将棋部のトップクラスは、将棋の奨励会(プロの卵)のレベルと遜色ありません。
そして、例えば灘中学のような数理の才能がある生徒に将棋ばかりをさせたら、大学の将棋部を上回る集団になることが容易に予想されるからです。
確かに米長邦雄永世十段は、「上の兄3人は頭が悪いから東大に行ったが、自分は頭がいいからプロ棋士になった」といった趣旨のことを言いましたが、それは一種のジョークであり、仮に米長氏の方が本当に頭がいいとしても、彼は将棋界の中でもトップクラスの棋士ですから、比べるべき相手は東大の中でもトップクラスの人間であるべきで、それだけで結論は出せません。
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当然、プロ棋士です。
将棋のプロ棋士には年間4名ほどしかなれないのに対し、東大生は年間何千人もうまれます。
米長永世十段は、たしか、上の兄3人は頭が悪いから東大に行ったが、自分は頭がいいからプロ棋士になったと主張していたことがあったと記憶しています。
追記
gojigojigonbeさんの言われる母数が異なるという主張はごもっともなのですが、それでもプロ棋士の方が格段に難しいというのが私の考えです。
私自身、大学将棋部の出身であり、一般大会での県の代表になったこともありますが、人生をやり直して将棋の英才教育を受けたとしても絶対プロ棋士にはなれなかったと感じています。今度は谷川兄弟の例を挙げます。谷川兄弟はご兄弟それぞれがプロ、アマの名人となったことで有名です。幼少のころ、当然兄の方が強かったわけですが、お二人のお父上が、顔を真っ赤にする兄の方はプロの勝負師としての才能に欠けるとみてプロにしなかった(東大に行って学生棋界で活躍した)という逸話があります。将棋を極めるには単に頭がよいという以上のなんらかの才能が必要なのだと私は考えます。
一方、私は東大出身ではありませんが、大学受験当時の偏差値からいえば、分野を問わなければ東大を受験して受かった可能性もありました。幼少のころから英才教育を受けたらもっと可能性は高かったろうと感じています。
もう一つ、仮に将棋のプロ棋士になりたいという母数が増えたとしても現行制度では年間4人+αの人数しかプロ棋士になれないという制度上の問題もあります。プロ並みの実力をもつ人がかりに100人うまれたとしても、その中で実際にプロになれる人数には制限がある、ということになります。
実際にそのような状況ができたら制度も変わるでしょうが、プロ棋士として食べていける人数には限りがあり、それほど多くのプロ棋士が輩出されることにはならないと予想します。
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将棋のプロに決まってるよ。
毎年将棋のプロに受かる人数と東大に受かる人数というか、司法試験やエリートのⅠ種
より難しく日本で1番難しい試験かもしれません。
米長邦夫さんの発言に、兄は馬鹿だから東大へ入ったのです。
これに対し兄はあの弟の兄は馬鹿でなければ勤まりません、と返したそうです
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