十何手かで負け?
以前に、将棋のプロ棋士の方で「まだ、駒組みの段階の十数手で投了して負けた例がある」と聞きましたが、それは、本当でしょうか?
本当ならば、どんな状況だったのでしょうか?
まさか、十数手で、その先を60手くらい読んだら負けだと判ったからとかですか・・・・?
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私は、それほど将棋に詳細な知識があるわけでは無いのだけれども、質問内容に該当する棋士は、故「村山聖九段」じゃないかな。
羽生世代と言われ、29歳で逝去するまで、A級棋士に現役で留まっていた人だよ。
テレビで見た記憶があるんですよ。十数手では無かったけれど、確かに、まだ駒組みの段階で、急に投了したという場面です。対戦相手が誰だったのかとかは忘れたけど。
その時は、解説の方が、「どうも体調が優れないようで、投了した模様です」というような事を言っていた記憶があります。
名人位となることが目標で、「二十歳までに名人に」が一つの夢だったそうです。
苦しい闘病生活の中でも、B級に転落したこともありましたが、最後はA級棋士として現役で亡くなっています。A級現役在位のままで亡くなった棋士は村山九段を含めて3人しかいないそうです。
「東の羽生、西の村山」、「終盤は村山に聞け」という天才を象徴するような言葉が残されています。
亡くなられた時には、八段でしたが、A級在籍であり、体調さえ良ければ絶対的な強さを発揮した方ですので、生きていればタイトルホルダーにもなっていたでしょうね。
「・・・2七銀」が死に際しての最後の言葉だったそうです。
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佐藤大五郎九段についてちょっとだけ。
中原さんとの将棋は、体調不良からの投了だったと記憶してます。それでも連盟からは叱られたようですが。
タイトルには手が届きませんでしたが、マキ割り流と呼ばれた豪快な攻めの振飛車党で、なかなかの人気棋士でした。無冠の棋士としては珍しく、複数の棋書を出してましたね。太いもみ上げが目立つ風貌と、当時の棋士としてはちょいと珍しい服装のセンス(ダイヤのネクタイピンをして金銀ダイヤが攻めてくるなんて言われたりしたようで)といった個性の部分と、さらには子連れ狼の人気ともリンクしたようです。
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「初手に手番を間違えた」の反則とか、角を取られての敗勢とかでなく、
駒組み段階に↓最短手数(10手)で投了↓したのは
1974-08-19 棋聖戦 佐藤大五郎 vs 中原誠
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=35497
佐藤大五郎さんは王位戦挑戦経験もあり、特に弱い人ではなかったのですが
「変わり者」で、この将棋では名人相手にハメ手の代表である鬼殺しを採用
して穏やかに対応されて悪形になると
『こんな将棋、名人に対して失礼だ』
と言って投了したそうです。何か試したかったことが有ったのに中原名人が
乗ってきてくれなかった、ということなのでしょうがそれにしても淡白です。
補足: 60歳前の引退ですが、すでに力は衰えていたのであてはまりません。
上位に上がって「家を建てたからOK」みたいな感じで現状に満足してしま
ってから弱くなってしまった人という印象があるので、もっと将棋自体に
対する欲があればもっとタイトルに絡めたかもしれない、というのはある
かもしれません。
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プロ棋士の短手数負けはいくつかありますが、後手番なのに初手を指して0手で負けになったとか、そういうのを除けばよく例にひかれるのはこれだと思います。
佐藤大五郎 vs 中原誠 1974-08-19 棋聖戦
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=35497
単に先手にやる気がないとしか思えない例
桜井昇 vs 下平幸男 1972-07-26 早指戦
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=39639
見ればお分かりになると思います。まあ人間ですからしょうがないですがプロとしてはあまりにも不注意・・・
(補足)
佐藤大五郎さんにタイトルですか?、残念ながら無理だったでしょうね。A級2期経験者ですから強い棋士であったことは間違いないですが、タイトル挑戦は29歳時の王位戦一度のみでしたし(0-4で大山王位に敗退)、その他も棋戦優勝は一度あるのみ。59歳での引退ですが、現役生活は全うしたと考えていいでしょう。
「生きていれば~」「天才とは、早逝~」いずれもちょっと当てはまるとは思えません。
佐藤大五郎さんが共通、ですが、挙げてる将棋も同じですよねw
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